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2016年1月30日 (土)

「号泣元県議」騒動に見る司法の劇場化(2)

 「号泣元県議」は公訴事実を否認しました。おまけに被告人質問における答弁もまったくもって「ちぐはぐ」です。全然訳が分からない…と言っても過言ではないでしょう。弁護人はかなり苦慮したのではないかと思います。この事件では、総被害額とされる金額に利息まで付して1800万円以上がすでに全額弁償されています。公訴事実で摘示された起訴被害額は900万円余りですが、その2倍もの被害弁償を行っているわけです。

 このように被害弁償を終えている状況下で、被告人が罪状を認めて謝罪し、素直に反省の弁を述べるなら、前科前歴のない被告人には間違いなく「執行猶予付判決」が待っていたと思われます。私が弁護人であれば、被告人に対してそのような「弁護方針」を勧めたでしょう。

 そもそも詐欺などの財産犯については、その手口や件数及び被害額・被害感情等もさることながら、「被害弁償の多寡」が量刑を決めるにあたってかなり大切な要素となります。ですから私たち弁護士は、被疑者・被告人に対し、被害弁償の実施を強く求めるのが常です。被害者にとっては被害を回復する限られたチャンスですし、弁償を受けることで被害感情も少しは和らぎます。

 ですから、裁判所も被害弁償という要素を重視することになります。被害弁償の努力もしない被告人に甘い量刑をしたり、逆に、一生懸命被害弁償をした被告人に加重な量刑を科したりはしません。そんなことをすると、「な~んだ量刑にあたって被害弁償なんかどうでもいいのか…」などと、被害弁償が軽んじられる結果、被害者が被害を回復する限られたチャンスを奪うことにもなり兼ねないからです。

 どうやら「号泣元県議」は、警察での捜査段階では全面的に「自白」していたようです。ところが、書類送検された後、検察官の取り調べの際、突如「否認」に転じたとか(そのため警察は捜査を一からやり直し「証拠固め」に奔走したと聞いています)。こうして迎えた初公判をドタキャンしたうえ、勾引されて出廷した公判の罪状認否でも「否認」したうえ、一般人には理解しがたい「弁解」を並べ立てているという構図になります。

 このような「号泣元県議」の行動は、どう考えても一貫性・整合性を欠くものであり、事実認識にひずみがあって合理的に思考することが困難ないしは不可能、そして感情すらうまく制御できない状況にあると感じられます。端的に言うなら、彼自身、何らかの「精神的疾患」を抱えているのではないか…と考えざるを得ないのです。

 世界中の耳目を集めた例の「号泣会見」を見ても、彼がパニック状態に陥り自分の感情をコントロール出来ず、泣き喚く結果になったことが容易にわかります。この彼のリアクションが余りに並外れていたため、マスコミは面白がって彼を「晒し者」として扱い、世間もこれを受け入れて同調してきました。

 これは、私には「社会的なイジメ」としか映りません。彼がみずからの罪を償うべきことは当然ですし、政務活動費の問題は見逃せませんが、マスコミや世間の興味はそういった点にあるわけではなく、みんなで寄ってたかって彼のリアクションを嘲笑し、楽しんでいるとしか思えないのです(つづく)。

兵庫県弁護士会/神戸市中央区/藤本尚道法律事務所
職人かたぎの法律のプロ、弁護士藤本尚道です!
http://mbp-kobe.com/lawyer-fujimoto/

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