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2012年6月 8日 (金)

「男系男子」のおはなし

 昨日、皇統の「男系男子」についてお話をしましたが、少し補足いたします。男女の性差を決定する「性染色体」は、女性が「XX」、男性が「XY」で、2本で1対となっています。女性の「X・X」のいずれかと、男性の「X・Y」のいずれかが結びつくわけで、理論上は男女の確率は半々です。そして、男性のY染色体だけは必ず父親由来ということになります。

 ところで、「男系男子」の問題は、徳川将軍家でも共通の悩みでした。初代将軍の家康公から、二代・秀忠公、三代・家光公、四代・家綱公までは順調です。しかし、家綱公に嫡男子がいないため、弟の綱吉公が後継となります。さらに、綱吉公にも嫡男子がなく、家綱・綱吉の兄弟にあたる綱重の子である家宣公が六代、その子の家重公が七代将軍となったのです。

 そこで家光公の血統が途絶え、「暴れん坊将軍」八代・吉宗公の出番となるのですが、吉宗公は家康公の「ひ孫」(紀伊徳川家)にあたり、家康公のY染色体をしっかり受け継いでいる人物なのです。家康公は、徳川御三家(尾張・紀伊・水戸)を創設して、みずからの血統が絶えるのを予防していましたが、これが功を奏したわけです。

 さらに九代・家重公、十代・家治公へと継承されますが、ここでまた嫡男子がいない事態になります。ここで、吉宗公が創設した徳川御三卿(田安・一橋・清水)の「一橋家」から十一代・家斉公が迎えられ、十二代・家慶公、十三代・家定公と続きます。家定公の正室は大河ドラマで有名になった「天璋院篤姫」ですね。

 家定公に実子がなかったため、十四代将軍は、十一代・家斉公の孫にあたる家茂公(紀伊家藩主)が迎えられ、そして最後の十五代・慶喜公は、水戸家九代藩主・徳川斉昭の七男ですから、結局、最後まで家康公のY染色体が受け継がれたことになります。

 江戸開府(1603年)から大政奉還(1867年)までの264年間、15代にわたる将軍後継者問題ですら、これだけの紆余曲折を踏まえて、「神君・家康公」のDNA(Y染色体)を後世に残すことが第一とされたわけです。遺伝学のなかった時代に「男系男子」による継承を考えたのはただの偶然なのでしょうか? 不思議です。

 最近は「男系男子」ではなく、「草食系男子」が目立ちます。このままでは、遠い将来、日本人の「Y染色体」がこの地球上から消え去るかも知れません(涙)。

兵庫県弁護士会/神戸市中央区/藤本尚道法律事務所
職人かたぎの法律のプロ、弁護士藤本尚道です!
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